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2007年04月23日

『護衛艦隊集合訓練』で呉に来た船をいくつか・・・のついでに。その2

『護衛艦隊集合訓練』で呉に来た船をいくつか・・・のついでに。の、続きです。
今日も、おまけから。(笑)

日立物流さんの『展示用潜水艦あきしお輸送完遂』額
バブコック日立呉事業場・日立物流呉営業所の宝町埠頭側の門前に『海上自衛隊呉史料館/展示用潜水艦「あさしお」輸送作業完遂』額が飾られています。


両城の200階段



のロケ地になった、両城の200階段です。
と言っても、
『両城の200階段』説明板
この看板がないと…
『両城の200階段』と説明がある階段の始まり
道路に面した割と普通な階段のような入口なので、まず気が付かないかも…。
しかし、途中から幅が広がって中ほどに手すりが現れてきます。
ちなみに、中腹から頂上のほうを見ると
両城の200階段の中腹から上を見る
こんな感じです。空に向かって続く階段のように…
見えないですね。
両城の200階段 頂上から下を見る
頂上からふもとの方を見ると…かなり高度差があります。
両城の200階段から海上自衛隊Eバース方向を見る。
この両城の200階段から海上自衛隊のEバース方面を見てみました。

でも、今日も本題は『護衛艦隊集合練習』のオハナシだったりします。
続きにお付き合いくださいませ。
posted by RainbowCity at 23:34| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 広島 瀬戸内海 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『護衛艦隊集合訓練』で呉に来た船をいくつか・・・のついでに。

海上自衛隊の『護衛艦隊集合訓練』が呉に来ましたが、そちらの情報は他の皆様にお任せするとして…
(潜水艦バース工事中もあって造修所建屋裏の"E"バースだったさ…(笑))

ってことで、ついでに行った写真を2枚。
音戸の瀬戸公園 つつじ咲く
音戸の瀬戸公園のツツジが咲いていました。

この白い山、なんでしょう。
呉港を出港した船からも遠望できる倉橋島沖に浮かぶこの白い塩の山は、三ッ子島です。
白い山は、全部メキシコから輸入された工業塩だそうで、塩化ビニルなどの成分になる塩素と、水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)になるそうだ。


とは言え、一応『平成19年度護衛艦隊集合訓練』に関する写真をいくつか…

続きにお付き合いくださいませ。
posted by RainbowCity at 03:04| 広島 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 広島 瀬戸内海 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月15日

坂の上の雲〜海軍兵学校 のはずが…(笑)

勝手にPR(笑)
2007年4月28日 松山市に坂の上の雲ミュージアムオープン。
ってことで。

旧海軍兵学校、今の海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校を『坂の上の雲』からの引用つきで紹介すると…。
旧海軍兵学校生徒館

 真之らの在学中、学校が移転することになった。
 広島県江田島にゆくという。
移転は明治二十一年八月一日におこなわれた。
 真之の入校三年目のとしである。
 生徒の輸送は、学校の練習船である東京丸がそれにあたった。
 秋山真之にとって多少ありがたかったのは、故郷の松山が近くなったことである。


司馬遼太郎著『坂の上の雲』より『海軍兵学校』



ほーら第1術科学校の地も「その昔、秋山真之が歩みし地」と思わば『坂の上の雲』な香りが…(笑)

ただ、『赤レンガ』こと旧海軍兵学校生徒館、現在の海上自衛隊幹部候補生学校は、
 117年前の明治21年(1888)、東京築地にあった海軍兵学校が江田島に移転し、この地において、海軍兵学校生徒の教育が開始されました。
 当初生徒は表桟橋に係留された学習船「東京丸」で起居していましたが、明治26年(1893)に赤レンガの生徒館が完成しています。

明治26年完成・・・。って翌年から日清戦争じゃん!(爆)

あまりに残念なので、ある意味貴重な『残念な写真』をもう1枚。
1術校教育参考館 改修中
現在、海上自衛隊第1術科学校教育参考館は改修工事中です。
館内の一部展示物は仮展示室に展示されていました。
海軍大将の写真のうち、井上成美、米内光政と2枚並びで飾られていたのが印象的でした。
ってのは、阿川弘之著『米内光政』『井上成美』の読みすぎかなぁ…(笑)




ちなみに、かの秋山真之起草とされる名文『聯合艦隊解散之辞』も、昭和19年ごろの海軍兵学校校長 井上成美にかかると…

続きにお付き合いくださいませ。
posted by RainbowCity at 21:08| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 広島 呉エリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月12日

坂の上の雲 〜広島にある正岡子規句碑

勝手にPR(笑)
2007年4月28日 松山市に坂の上の雲ミュージアムオープン。
ってことで。

司馬遼太郎著『坂の上の雲』のうち『須磨の灯』の項の冒頭数行…
 子規の従軍は、結局はこどものあそびのようなものにおわった。
 広島で待機し、四月のはじめ、御用船に乗るべく宇品港へ出かけた。
「道端の桜は七、八分咲いて、柳の緑は染めたように芽ざしている。春昼の如しと言う頃である」
と、子規は季節を描写している。
司馬遼太郎著『坂の上の雲』



の『広島で待機し』の間に生まれた句によって、広島市と呉市に正岡子規の『句碑』が生まれました。
呉港 大船や波あたゝかに鴎浮く
呉港 呉かあらぬ春の裾山灯を灯す
廣嶋比治山 鶯の口のさきなり三萬戸
行かばわれ筆の花散る処まで
正岡子規著 正岡忠三郎編集代表『子規全集 第二巻 俳句二』より『寒山落木 巻四』

この広島市と呉市にある『正岡子規の句碑』を回ってみました。

続きにお付き合いくださいませ。
posted by RainbowCity at 00:30| 広島 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 広島 その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月05日

呉・海上自衛隊呉史料館『てつのくじら館』オープン

『てつのくじら館』くす玉割り
ということで、海上自衛隊呉史料館『てつのくじら館』が4月5日オープンしました。

ちなみに、3階建ての『てつのくじら館』ですが、2階には掃海艇(後に掃海管制艇)『ははじま』の甲板を再現しつつ各掃海掃討機器などを展示し、また、日本の海上自衛隊が世界に誇る『対機雷戦』技術が、太平洋戦争後の航路啓開業務から日本国が湾岸戦争に参戦し海上自衛隊ペルシャ湾掃海派遣部隊が参加した『湾岸の夜明け作戦』を経て『1000トン級木造艦の建艦技術』など現在・未来に至るまで展示されています。

実は『世界水準』から言えば、展示用潜水艦なんかよりもこっちの方がはるかに『観モノ』だったりして…。
1991年当時『あのちっこい木造船が何をしにペルシャ湾まで大航海するんだか…』などと揶揄していた方々こそ特にじっくり見て欲しい!『ちっこい木造船』…掃海隊こそ日本国が世界最強の軍事力を世界に提供できる唯一無二の部隊です。多分、対テロ戦やイラク戦争…と『なし崩し』的にあれこれ参戦・派遣されている現在においても。
posted by RainbowCity at 20:28| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 広島 呉エリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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